生徒が自分を超える時

それはそれで、刺激的ですね


フラを教えていると、生徒さんの方が自分より上手になるということは起こることです。

学習ファシリテーターとしては、それを喜ぶのですが、手放しで喜べない自分もいます。

そこには、羨ましい、という気持ちがあります。

でも、私にとっては悪いことじゃなく、良きライバルとして自分を鼓舞する力にもなります。

そういう生徒さんを、引きずり降ろそうなんていう、もったいないことはしません。逆に、そういう生徒さんはいずれ独立して行くと思うので、私の元から去っていっても大丈夫になるくらいのものを渡したい、と思います。

これは、普通のことと思うのですが、違う話も聞きます。

自分より、知識を仕入れて欲しくないから、勉強はしなくていいとか、他で学ぶのは、フラ以外もダメ、とか。それってどうなの?と思います。

少なくとも、私がカヒコを習っているクムフラKiwalaʻoは「律子はもっといろいろなことを学んだ方がいい」と、いろんなクムから習うことを勧められます。

元所属していたカレイレフアのレフア先生も「やりたいことがあるなら、少しでも若いうちに始めた方がいい」と、私が退会するときに背中を押してくれました。

そういう人がフラの師なので、私もそれに倣って、生徒さんがいろいろ学ぶのを推奨しています。

思いがけない情報を聞くこともあるし、私も勉強になります。フラの曲も、解釈が真逆のこともあって、生徒さんは迷うかもしれないけど、それでも情報提供し、様々な解釈があること、どれも間違いじゃないこと、自分たちの踊りは、どんな解釈で振り付けられているのかを知ることで、より、深い学びになっていると信じています。

自分以上に優れた生徒さんがいることは、みんなの学びになるし、私も触発されるから、いいことだ、と思っています。

ハレ・オハナは、先生を頂点としたピラミッド構造になることを良しとしません。

私は、たまたま教室を運営していますが、そこに来てくれる皆さんは、私と一緒に踊ってくれる仲間です。

フラについては教える部分もあるけれど、それ以外は共に学んでいければ良いなぁ、と思っています。

2017年も、そんな風にフラを学びたい方と出会えることを、楽しみにしています。



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