自己肯定感が低いと失敗を怖れる

失敗って何?


自分が存在する意義について、一度は考えたことがある人が多いのではないでしょうか?
忙しい日々だと忘れていますが、ふと、「自分はこの世に存在していて、何か意味があるのだろうか?」とか「何の役に立っているのだろう?」とか。
生きているだけで十分なのですが、それを肯定できないタイプの方がいます。
その方々の特徴は、「失敗や間違いを異常に怖れる」と言うこと。
怖れているだと強すぎるとしたら、必要以上に恥じる、と言えば良いでしょうか。
正しくあろう、間違わないようにしよう、と思うあまり、ほんの少しのことにいつまでもクヨクヨしたり、話している相手の表情がちょっと曇るとか真顔になるだけでドキッとしたり。
顔色をうかがっているつもりはなくても相手の顔色を見て、一生懸命空気を読んで、深読みして、私のことが嫌いなんだとか、私はいらないんだとか思う。

これら全て、私自身が思い当たるのです。
自己肯定感が低かった頃、誰よりも優れていないと存在していても意味が無いと思い、誰よりも優れていると評価されないことに不安を感じ、自分より優れていると思う人に一方的に嫉妬したり、教えを請うということが出来なかったり、今思うと全く不自由でした。
今は、様々な経験を通して、自分のありのまま(デコボコがあって、ちっぽけな存在)を受け入れていて、だから、心が楽になり生きやすくなりました。だからこそ、直感という名の神さまの言葉を受け入れて、行動できるのだと思います。

全然パーフェクトじゃない。それで良い。
間違うことはある。その時は、立ち止まってやり直せばいい。誰かに迷惑をかけたら、その後精一杯取り戻せばいい。そういう意味で、失敗という結果はない。
間違うこと、知らないこと、出来ない事を認めているから、他者のことにも寛容になるし、何より、他者に介入しなくなります。

顔色をうかがう、空気を読むというのは、相手の反応に立ち入ることです。
感情や受け取り方は、個人のこと。そこに介入して、「私を好きになって、嫌わないで、褒めて褒めて」と訴えている、ある種うっとうしい存在。だから、一生懸命空気を読んでいるのに嫌われるのです。
自己肯定感が低いと、情緒的に自立できない。
だから、相手に合わせようとする。それって、合わせられた方は重たい。
重い女とはそういうことです。

出来なかったことを笑われてもいい。実際、やってみて出来なくて笑われて「練習だね」と言われたり、間違っていることを指摘してもらって、あれ?そうだった?なんて思うこともしばしば。でも、そのことと私を好きか嫌いかとは別、と思うので、私のことを嫌いな人に近づいてもらわなくて良い、思ったら、周りには好きな人しかいない状況となって、本当に快適!

嫌いな人にまで好かれなければ、と肩肘張っていた頃の自分と比べると、すごく快適で、何だ、欠陥だらけでいいんだ、と、ますます自己肯定感が強まります。
でも、向上心はなくしていない(と思っています)
自分を認めること、楽に生きること、そして学び続ける事は、全部同時に出来ることです。
その方法を学ぶ講座を、どんどん開催しますね。そういう友人とも出会えたし、(経歴からは接点が全くない人なので、これも縁だなぁと思う)ハレ・オハナにアクセスして下さる皆さんはとても真面目で向上心のある方なので、そんな皆さんに役立てばいいな、と心から思っています。
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