教える、教わるの呪い

解放されてわかる、ある種の洗脳



洗脳って、されている方は気がつかないけど、している方も気がつかないことがあります。

それは、洗脳している側も洗脳されている時。長い時間をかけて行われてきたことは、それとは気づかず洗脳してしまうことがあります。

教える、教わるも、その一つかも知れません。

知識も技術もある人が教える人で、教わる人は言われた通りに従う。

確かに、ある程度経験値の高い人から教わることはあるでしょうけど、従う必要はなかったりします。

でも、私達は、子供の頃から先生の言う通りが良いという前提を作り、それを盲信してきました。

だから、教えてくれる先生が良い先生で、教えてくれない先生は、悪い先生となります。

そういう意味では、私は悪い先生です。でも、一つのフラをみんなで作り上げて、みんなのフラにしていくことは出来ます。正解よりも大切な、好き!という感じや、気持ちよく踊れる感覚をシェアしたいから。

それが、皆さんが望むフラだったら良いな、と思いながらですけどね。

正直なところ、教える方が何倍も簡単。

私の頭の中にある形にするように、徹底してやれば良いし、出来ないなら、出来るまで100万回やれ、と言えばいい。そして、出来てないところをどんどん指摘して、そこを修正していけばいいんだもの。修正の仕方は、それぞれの努力だし、(それこそ、時間を可能な限り割いて、100万回繰り返したら出来るよ)才能だよね。才能も時間もなければ、諦めるさせればいい。

やり方は、分かってます。

でも、それって、教わって幸せかな?と考えてしまいます。

キチンと揃っているフラに美を見い出す人もいるけど、結果的に揃ったのと、揃えるように踊るのとでは、見ていて雲泥の差があるんです。

それって、見えるんだよね。

教えこまれたフラって、言葉は悪いけど、よく躾けられたフラとか、調教されたフラに見える。フラの本質は何なのか?と考えると「伝える」だから、よく練習したことを伝えてどうする?と思うんです。

教われば出来ると思うから、100万回やれと言われたからやる、出来ないのは自分の責任、それでも出来ないのは自分の才能のなさ、と、自分をどんどん追い込むことになることに気がつかないのです。それが、教わるの呪い。そして、何度でも丁寧にダメ出しすることがその人のためだと信じるのが、教えるの呪いです。

そこから突然、ポンと解放されて、あれ?何だったんだ?となっていまして、今の私は自由な世界でスースーした感じがしてます。分からないだろうなぁ〜

明らかな間違いは、修正する必要はありますけど、何を大切にしているかさえブレなければ、後は皆さんのイメージを大事にしたい。

だから、教え込むことはやめました。

気持ちよく踊った結果、揃っていました、なら嬉しい!

揃えるのは、呼吸、リズム。

これは、揃えようと思っても揃わないものなので、毎回のレッスンで、コツコツ積み上げるしかないもの。

感覚を共有することなので、オノマトペを多用して、分かったような分からないようなレッスンでやっていくしかないこと。

外から見たら、変わった教室なんだろうなぁと思います。生徒同士でいろいろ解決していくので、私は司会進行しかしてなかったりします。でも、笑顔で、たまに爆笑しながらレッスンしている。これに変わるものはないですから。

教えなくなり不安がっていた生徒さんも、実際にやってみると楽しいみたいですし、ひとまず良かった。

フラを通して、この呪いから、解放されますように。一気には無理だけど、ちょっとずつね。

教える、教わるから離脱していくのと同時進行で、自分を見つめることが始まります。なりたい自分からの逆算です。

フラで出来たら、次は他の分野にも広がる思考の仕方です。これを身につけたら、すごいです。多分、出来ないことは無くなります。何でも出来る。

一足跳びにその思考を体験したいかたは、といてら講座にどうぞ!
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