比較でしか学べない

だからグループで学ぶ



人は、機械のように絶対の基準を持ちません。それぞれが「当たり前」という基準を持ち、それに照らし合わせて判断をします。

この、当たり前というものはなかなか厄介で、普通は疑うことすらしません。

そして、自分と他人の当たり前が違うことも、疑いません。

「だって、常識でしょう?」と、思いませんか?

それを疑うためには、違う常識と触れ合うことが大事になります。

文化は、その国の常識が積み重なり出来上がったものです。

例えば、お財布を拾ったら、どうしますか?日本人なら、警察に届けますよね。なぜなら、それが常識だから。でも、他の国ではあり得ない話です。拾った人のもの。

どんな金額でもです。

日本人のそういうところが素晴らしいと思うのは、他との比較があるからです。当たり前だと思ったら、素晴らしいなんて思いませんから。

これは一例。

例えば、フラはキチンと揃えて踊らなければならない、それが当たり前、と思ったら、揃っていないことは悪いことなんです。だから、揃っていないところは、下手なフラ、と思うわけですよね。

メリーモナーク・フラ・フェスティバルの前夜祭に登場するハーラウ・オ・ケクヒは、揃えることはあまりこだわりません。では、そこは下手なのか?と聞くと、あそこは別だから、と、自分と切り離してしまいますね。それでは、互いの理解は深まらないのです。

違いを認め、そこについて意見を交わすことで自分の考えが深まり、何故揃えて踊りたいのかを説明できるようになります。納得して、キチンと揃ったフラを踊れるようになるから、それはそれで心からのフラになるのです。

言いなりなのと、自ら進んでやるのとでは、雲泥の差があります。習得の速さも違います。教えてもらわないと出来ない、などという甘えたことは言わなくなります。

だから、比較は悪くないのです。

比べない教育などとも言いますけど、子供が自分の成長を自覚できるでしょうか?よほどしっかりサポートしないと分からないと思います。だから、お友達と比べるのは良いと思います。

それが上下関係ではないことを、大人がよく納得し、理解していれば、子供たちを自然にサポート出来ます。

皆さんはいかがですか?

他人と比べてはいけないと思えば思うほど、比べます。比べていいのです。違うところを見つけて、自分の糧にしちゃうのです。

優れた人と一緒にいると、劣等感を刺激されて辛いこともあるかもしれませんが、劣等感があるということは、なりたい自分に近い人がいるということ。

真似してみちゃいましょう。

すぐに上手くいかないこともたくさんありますね。

その時は、自分が想像した道筋や結果と比べるといいのです。良し悪しではなく、やり方の問題と割り切って、どんなやり方なら出来るのか、と、オリジナルのやり方開発を楽しんでいただきたいです。

それが、「学習」です。

より効率良い学習のためには、比較出来る人がいるといいので、グループで学ぶのがとても効果的です。

一人でやる時は、自分の持っている当たり前や常識を意識することから始まりますから、自分とガチンコで向き合うことが出来ないと難しいです。

一人でやるのではなく、マンツーマンで指導を受けるなら良さそうに思えるのは、他者と自分を切り離した思考だからです。関係ないから、と思っていると、出来ないことにイライラしたり、バカにしたりするのです。でも、ヒトゴトではなく、一緒に学ぼうと思えたら、違いを話し合っていけるのです。これって、ホオポノポノに通じるなぁと思います。

そうやってコミュニティーを作っていこうとしているのが、ハレ・オハナであり、この理念を提案しているのが、大阪にあるtoiee labで、賛同して一緒に活動しているのが、といてら渋谷の小野さんや、全国にいるラーニングファシリテーターの仲間です。

よりフラを深く理解し、心から踊るために、といてら講座を行なっています。

私自身が、どうやってフラを理解しているのかも、ちょっと見えると思いますし、私との違いも、大事な要素。

みんな違ってみんな良い。

本当にそう思える講座です。

是非、いらしてください。
https://coubic.com/toiteratokyo/203621
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