学ばなくていいと思うのは満たされているから

言い訳は必要ない

英語のレッスンを受けていると、その課題となっている教材の中から、それはいいなぁと思う表現に出会うことがあります。

日本語だと、なかなかそう言わないけど、英語の世界では言うんだなぁということが、多々あって、日本人はやっぱり本音を言わない文化なんだ、と思います。

今回の学びは「本当にやりたいまで気持ちが十分にない」という表現。多分、日本語に意訳すると、「本気じゃない」程度になるんですけど、もうちょっと婉曲表現なんですね。

例えば「部屋の片付けをしなくちゃと思うんだけど、実はそんなにやりたいと思っていないから、なかなか手をつけないんだよね」とか、「ダイエットしなくちゃと思うけど、そんなに切羽詰まっていないからまぁいいか、って思っているんだ」なんてこと、あんまり言わないですよね。

英語は、こういうことを、さらっと表現するんですけど、日本人は大抵、「時間がなくて」っていうことが多い。時間はあると思うんですが、時間をどう使うかっていうことの優先順位が低いんだよねってことを、ちゃんと言わない。

学びも同じで、大抵「年齢」のせいにして、「もう年だから」ってやらない。でも、「学ぶのをやめるときは死ぬとき」と言っていた人もいるぐらいなので、もう年だからというってことは、もうこの世に未練はないって言っていることと同じです。

いやいや、もっと楽しみたいよ、と思う人は、どうやって楽しむかを考えて、いろんな方法を編み出すと思うんですよね。それが学びです。

学びの定義を変えないとね。学校教育とは違うんです。仕事でもない。創意工夫して何かを生み出すこと、そのものが学びですから。体が動かなくても、学ぶことはできます。

そういう意味では、学ばない人って誰もいないんだけど、それを積極的または意図的にやるのか、自然の流れに任せるのかで違うのは、学びのスピードです。

人が本来持っている学びのスキルを、意図的に使って効率よく学んでいこうとしているのが、AI(人工知能)ですが、それでも人間ができてコンピューターにはできないだろうことがあります。それが、直感的なひらめき。

これが、あてもない適当なものじゃなくて、本気で学ぶことに取り組んでくると出てくるものだって知ったら、学びたくなりませんか?

新しいアイディアをどんどん生み出す人は、それなりの学びを積み重ねている人。生きていればおこる自然な学びを、意図的に回して、回転数を上げることで、いっぱい学べます。そうすると、経験値が自然と上がって、コンピューターでは思いつかないようなつながりがいっぱいできて、ひらめきが生まれるんですって。

そうならなくていい、そこまでになる気がないから、積極的に学ばないんだって言えばいいんです。たったそれだけのことなのに、時間がとか年齢がって、原因が外にあるって言っているんです。

いいじゃないですか。そこまで切羽詰まっていないんでしょうから。羨ましいですよ。私は、学ばないとハレ・オハナ号が転覆しかねないから、どんどん学んでどんどんアイディア出して、どんどん行動して経験値をすごくあげないとならない状況ですからね。

つまり、安泰な人は、学ばなくても生きていけるってことかな、と思います。

いいなぁ。

そう言いたいなぁ。

必要がないから学ばないっていうってことは、いま幸せで、これからも幸せが約束されてますっていう宣言みたいなものだから、そのままでいいと思います。本当にそうならね。そうじゃないって思うんなら、学びの館「といてら」にどうそ。

といてら渋谷

といてら神戸御影

といてら豊浦



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