何かが引っかかる

キチンと踊ろうとするフラ


フラを踊っていけばいくほど、「キチンと正しく踊る」ことって何だろう?とわからなくなります。

よく角度のことは聞かれますが、腕の角度が45度だろうが60度だろうが大差ないし、そもそも、どこを基準にして角度の話をしているのかが曖昧なのに、数字で言われると安心するだけじゃないかな、と思います。

カホロの歩幅が何センチだとか、立ち位置が指1本分ずれているとか、そんなことに本当に意味があるのだろうか?と。

本当に大切なのはそこではない、ということが、心から理解出来ると、そんな些細なことで悩んでいたのか、とバカバカしくなります。

もちろん、ある程度の基準は必要だと思いますよ。特に群舞なら。

でも、本当に揃えるべきは「雰囲気」だと思います。この「雰囲気」というものはとても厄介な代物です。何しろ、目に見えない。

なので、心から演じることが必要になります。つまり、フラダンサーは俳優であるべきなんです。ガラスの仮面でも読んで、勉強しないと!(笑)

役=曲になりきれるかどうかって、思っている以上に重要なことです。そのために言葉を学んだり、ハワイの歴史や文化を学んでいるのではないかと思います。違いますか?

勝手にハワイが入り込んでくることはなくて、自分の経験したことを元に想像を巡らせて、曲の世界を出来るだけリアルに思い描いて踊るのではないですか?違うかなぁ?

つまり、どれだけ想像力を働かせられるのか、が、素敵に踊るために必要なことかと思います。そのために必要なのは、たくさんの経験。

ということは、年齢を重ねるほど素敵に踊れるはずなのです。若い人は、経験が無い分を、スキルでカバーしているだけです。いつまでも、それを真似ますか?

ただ、心のままに踊るためには、ある程度のスキルが必要なことも事実で、それを維持するために、土台となるカラダをしっかりと整えておくことも大切だということは、実感しています。

つまり、どちらが欠けても、イマイチなんです。曲の世界を感じ取る力と、感じ取ったものを表現するボディー。

日本のフラダンサーの現状は、頭での理解に重きを置いて、昔ながらの根性論で踊っているように見えます。

感性を育てるアプローチも、カラダを整えるアプローチも不十分。

それで良いのか?と思います。

マスゲームのような、見た目の美しいフラ。もちろん、それはそれで美しいと思いますし、そうなるにはどれだけの努力が必要か?と考えると、頭が下がります。でも、それは日体大の集団行動と何が違うのでしょう?

フラがフラであるためには、言葉を理解して、それを元に心象風景を踊りで表現することが大切なことではないかな、と思うのです。

表現するためには、心の解放と自由に動くカラダが大切です。

心の解放は、といてら講座で、自由に動くカラダは、フラの為のカラダ作りで手に入れてください。



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