フラは現実を踊り伝える

リアリティーが無ければ嘘になる

フラは元々は、文字を持たないハワイアンの歴史や王の系譜などを伝えるためのもの。

歴史書のような役割もありました。

もちろん、神のことを伝えるものもあったので、「神に捧げる」的な側面もありましたが、学べば学ぶほど、単なる神話ではなくて、自然現象から感じたものを神の物語として伝え踊ってきたのではないかな、と思うようになりました。

私が学んでいるペレのフラは、もちろんペレのことを踊ります。

「ペレとヒイアカ」という書籍にある伝説を踊ることもあるけど、それが表現しているものは、噴き出す溶岩のさまだったり、流れる様子だったり、地震だったりするわけで、それをこんなことがあった、と語ることで、災害アラートのような役割もあったのではないかな、と思います。

例えが良くないかもしれませんが、東日本震災の時のような津波が、かつて日本を襲った時のことが、伝説として伝わっていたのと同じかな、と。

そこにリアリティーがあれば、もしかしたらもっとみんな気をつけたかもしれないですよね。それがいつしかファンタジーとなり現実味を失って、「まさか」が起こるわけです。

ハワイ島で今年起こった火山活動も、過去の経験が地名やチャントとして残っています。

そして、「まさか」が起こったわけです。

それが今年かどうかは問題ではないのです。ペレがやってきた。天は灰色の雲に覆われ、大地は揺れ、裂けて吹き出した溶岩が、海へと向かう。

そんな内容のチャントがあります。

これは、ファンタジーではなくて、おそらくリアルな様子を描いたもの。

ペレが動くとこうなるよ、という警告なのかもしれないですね。それを踊り伝えるのが、フラ。

次に今年のような出来事がおこるのは、何百年も先のことかもしれません。その時に備えられるように、口伝では伝えきれないリアリティーを、踊りという形でつないできたのがフラだとしたら。

ハワイ語が文字となった時点で、本来の役割はなくなり、形骸化してきていても仕方ないのかもしれません。

ただ、私はカヒコを踊れば踊るほどに、その役割や意義をどうしても無視できなくなり、フラは伝えるもの、楽しみで踊るものではない、と思ってます。

もちろん、フィットネスとして踊るのもありですよ。

その一面もあります。ペレの激しさを表現できる強靭なカラダは確かに必要ですから。でも、そこで終わりじゃない。その先に、リアリティーがある。そこをやらないなら、あなたがやっているものは「フラダンス」だと思います。

ハワイのクムフラは、大変よく勉強されます。曲に描かれた場所のこと、時代背景など、リサーチして振りをつけます。

それはなぜか?

ファンタジーなら、そんなこと必要ないんです。

でも、リアルだから。ドキュメンタリーだから。ちゃんとリサーチして、しっかり理解して、それで振りをつける。

衣装もレイも、全て曲のリアリティーを追求するように決めていきます。

流行りの衣装を着て、見目麗しい飾りをつけるのではないのです。

私は、クムフラではありませんけど、日本人として理解出来ることを、限界まで追い求めようと思ってます。

もちろん、カラダも大事ですが、リアリティーのあるフラの為に、しなやかなココロも必要です。そして、信頼できる仲間も大事です。

そういうコミュニティーとしても、ハレ・オハナが発展していったらいいな、と思ってます。



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