当たり前の向こう側

「有難い」は見えてますか?

例えば、暗くなったら電気をつけると思います。当たり前のように明るくなりますね。その向こう側にいる人のことを考えたことはありますか?

24時間365日、電気を当たり前のように供給しようと努力している人がいて、手に入れている当たり前です。

当たり前が奪われると、その人たちを「怠慢だ」と責めますね。とんでもないことだ、と思います。

人って本当に都合よくできているので、当たり前と思っていることがそうならないことに対して、文句を言いますが、当たり前であることに感謝なんてしないですね。

だって、当たり前だもの。

例えば、今日皆さんがフラのレッスンに行けるのは、家族の協力があってこそなんです。「協力なんて、ゴミ一つ拾わないのに?」と思うあなた。家族の皆さんが元気でいてくれるからこそ、フラのレッスンに行けるんです。そこに感謝したことはありますか?

当たり前の反対語は、有難いですね。元気でいてくれるって、有難いことなんです。そこに感謝することって、ほとんどないですね。

当たり前の向こう側にある有難いは、とても控えめなので、本当に目立たないです。でも、ちゃんとそこにいるんです。そして、いつもいつもあるわけじゃないから「有難い」のです。

これは、当たり前と思われる立場になると、すごくよくわかります。

準備できてて当たり前、必要なものは持ってきてくれて当たり前、優しくて当たり前、なんでも出来て当たり前。

その当たり前の裏に、どれだけの努力が隠れているかなんて、あまり考えもしませんね。それって、かなり辛いというのは、毎日感謝もされずにご飯を作っているお母さん方ならよくわかると思います。

我身に起こるとわかるのに、人ごとだと理解ができない。まぁ、そんなものなのですが、ほんのちょっとでいいからこの当たり前を提供してくれている存在に想いを馳せていただけると嬉しいな。

それが、「有難い」に気がつく、最善で最速の方法と思います。

私は、発表会って日頃の練習の成果を人前に披露することに加えて、いつも当たり前にレッスンに送り出してくれる家族に、こんなことをやっているという報告の会でもあると思います。

出来の良し悪しではなくて、好きなことに一生懸命取り組む姿を見てもらうことが、恩返しになるって思うのです。

もちろん、衣装を作ったり、身支度を整えたりする過程もあるから、ショーである一面はあるんですが、ハレ・オハナの発表会は、ショーのような演出をすることよりも、生徒の皆さんが、日頃練習していることをお見せする場という位置付けです。

皆さんが、ちゃんとご家族やご友人に「ありがとう」と言えるといいなぁ。そして、私もご挨拶できるといいなぁ。
そんな発表会にいらしてくださる方に、チケットをお渡しします。こちらからお申し込みください。



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