生徒を伸ばしたかったら教えるな

フラを指導していて、近頃よく思うことがあります。それは、自分が知っていることは大海の一滴にすぎない。これを超えて、生徒さんにはもっといろんなことを学んでほしい、と。

ハワイが好きで始めたフラ。ハワイ語の存在すら知らず、フラ・カヒコがあることも知らず、健康維持のため、何の気なしに始めたフラに、ここまでのめり込むとは思っていませんでした。

私自身の自己イメージって、高校生で止まっています。運動が苦手で、語学が苦手で、本を読むことは大好きで、特に取り柄もなく、おまけに引っ込み思案の内弁慶、というのが、自分像です。

自分でも驚いちゃうぐらい変わってなくて、今たくさん生徒さんがいますが、みんな私なんかよりも優れているって思うんです。特に、フラについては。

皆さんは教えて欲しいって言うけど、私としては教えることなんてないわけです。だって、自分が知っていることなんて、大したことじゃないし、正解はよくわからないし、これでいいと行ってくれる存在もないわけで、いいかどうかなんて判断できません。

むしろ、皆さんが自分で学んできたことの方が優れているって思うから、どんどん学んで欲しいし、そういう環境を作るしかできないなぁ、と思うんです。

これが、功を奏しているんじゃないかって思います。
つまり、教え過ぎない。

細かく教えてもいいけど、そうすると、自分の持っている器の中に収めることになって、それ以上に大きくなるのを止めちゃうんじゃないかって思うから。

こんなに小さい器に収まるような、ちっちゃい人間は、私ぐらいだっていう自己イメージだから、皆さんがのびのびできる方がいいんじゃないかなって思って、そうしているだけなんですけど。

何にも教えてくれない、と、ハレ・オハナを飛び出して行った方もいるけど、教えたら、私以上にはならない。私のレベルで止まっちゃう。それじゃダメじゃない?と思うんです。だって、みんなの方が素晴らしいものを持っていて、可能性もあるんだから。

自分の能力を決めているのは、自分です。私は、自己イメージが低いから、努力するのは当然、と思うので、学びをやめるつもりはないんです。努力しなければ、あっという間に転げ落ちるから、続けて踏ん張っていないと、ここにいられない。

つまり、自分のことで精一杯で、あるものしか提供できないし、ちっちゃい器にたくさんのものは持てないから、自分にないものを持っている人に助けてもらうことにためらいがないのかもです。

教えないというよりは、教えるものがないのかも。
教えている先生方は、本当に器が大きくて、素晴らしい人なんだって思います。私は、そんなに器量が大きくないなぁ。

ある程度の型があるのがフラだから、そこの話はできるけど、「守破離」の「破」と「離」は、自分でやらないとね。その力をつけられるように、底力をつけることはお手伝いできるかな、と思っています。

ハレ・オハナの生徒さんは上手だって言われますが、私が教えていることは全然大したことないこと。皆さんが、素晴らしいんですよ。



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